2025年6月2日月曜日

「1860年、日米修好通商条約締結に向けた遣米使節団の旅」 今村 均(ギターラ、ボーカル)

 


 万延元年(1860年)、江戸幕府は大老・井伊直弼の命により日米修好通商条約の締結に向け批准書交換の為、重要な一歩を踏み出しました。 

 この歴史的な瞬間を迎えるため、77名からなる遣米使節団が、米艦ポーハタン号に乗り込みアメリカへと向かいました。

 彼らの旅は日本とアメリカとの関係を画期的に変えるものであり、その中には様々な希有な経験が詰まっていました。 




 遣米使節団の中には、元市川代官の森田岡太郎清行の従者として市川代官所の典医である廣瀬保庵の姿もみられます。

 廣瀬は医学知識と技能を持ち、使節団における重要な役割を担っていました。 

 彼は団員たちの健康を守るためさまざまな病気やトラブルに対処しながらアメリカでの滞在を支援しました。

 使節団は航海中に色々な出来事に遭遇しました。

 険しい海を渡りながら、彼らは新たな土地への期待と不安を胸に太平洋を超えました。 

 アメリカに到着すると、彼らは新しい文化や慣習に接し、また、政治的な議論や会談が多数行われました。

 廣瀬自身もアメリカの医学や科学技術を観察し、日本に持ち帰ることへの大きな期待を抱いていたことでしょう。

 遣米使節団の旅は数ヶ月の間に多くの出会いや学びをもたらし、日本とアメリカの友好関係が築かれる礎となりました。 



 9ヶ月にも渡り世界一周を成功させた歴史的なこの旅を通じて廣瀬保庵をはじめとする団員たちは未来の日本のために重要な知識と経験を得たのです。

 遣米使節団の功績と彼らが果たした役割は多大でした。
 
 彼らの視点を通じて当時の日本とアメリカの関係が如何に形成されていったのか、再考して行くのはとても重要な事だと思います。

 維新のゴタゴタで新政府に消されてしまった歴史的事実が再来年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」で小栗上野介が描かれる事は大変楽しみな事です。



  大正7年にアメリカ大使から指摘されて日米協会が設立され、使節団副使の村垣淡路守が著した航米記等が発刊されました。 

 165年経過して改めて日本国民に再認識されるのはありがたい事だと思います。