2018年6月1日金曜日

「温故知新」今村均 (ギター、ボーカル)

5月1日に滋賀県甲賀市信楽町の信楽陶芸の森、創作研修館の研修所に3か月の予定で入所する娘を送りがてら近江を訪ねました。
ご存知の通り700年の歴史がある信楽は綿々と続く陶芸の里です。町全体が土業者、釉薬を扱う店、製品を販売する店等で溢れています。

窯元も110軒以上有ります。陶芸の森は今から30年前の1988年に「ふるさと創生資金1億円」を元に作られた施設です。勿論1億円で出来る施設ではありません。研修館の他、陶芸館、屋外展示場の太陽の広場、信楽産業展示館等、広大な敷地に建てられています。
研修館では世界中から人財育成プログラム、アーティスト・イン・レジデンスに参加する芸術家が陶芸を学びに集まっています。娘もアメリカから参加しました。他には香港、フランス、韓国、ドイツ等各国から13名ほど参加しているようです。
3か月では短すぎて学びきれない。また来たいと娘も言っています。香港の女性は半年の予定で入所しています。
私の町、市川三郷町も千年を超える和紙の里でした。昭和初期には200軒を越す製紙場がありました。
埼玉小川和紙、岐阜美濃紙、島根石州半紙が世界文化遺産に登録されて和紙が見直されている中、我が町には一軒の手漉工房が残るだけになりました。勿論和紙資料館すら有りません。
手漉きの技術、文化伝承が廃れようとしています。残念でなりません。
市川もふるさと創生資金で「碑林公園」なる物を作りました。中国四川省に有る碑林の里を手本に作ると言う触れ込みでした。だが、私が訪れた書聖、王義之の館跡や山東省曲阜の孔子の里には碑林は有りますが、それだけが林立するような公園と言うものはありませんでした。ここも結果的には20億円を超える税金が投入されていますが、現在では閑古鳥が鳴くほど寂れてしまいました。
何故和紙の里構想を練り、有益な施設を作らなかったのか、当時の担当者には大きな責任が有ると思わずにはいられません。
近江の旅はまず彦根市の町屋を改装した小さな宿に泊まりました。彦根城の城下町、その旧市街地はまだ江戸時代の建物が建ち並び良い風情を醸し出しています。古き時代の建物を大切にして、現在に生かす。

素晴らしい地域作りだと思います。
甲府市の地名を以前の名前に戻す動きが有ると聞きました。江戸時代の甲府の道祖神祭りは全国でも有数な祭りだったと再発見されました。

文化を大切にして次代に引き継ぐ、甲州人がもっとも苦手にして来た資質だと思います。

新し物好きも時には進歩を促すから必要だと言うのは判ります。でもしかし伝統を大切に守らない世界に明日は無いと思います。
滋賀の旅はそれを感じさせてくれる旅でした。