2021年5月1日土曜日

「江戸末期の海外交流」今村 均(ギターラ、ボーカル)

 『万延元年遣米使節団(1860)』で、医師として参加し、アメリカに向かった市川代官所の御典医、「廣瀬保庵(ひろせ ほあん)」の事を調べていたところ、甲府在住で『遣米使節団子孫の会』に所属する永野さんと言う方から連絡が有り、保庵の墓を探していると言う。


 丁度関連のある事柄を調べていて、市川に在った大龍寺と言うお寺にお墓があると言う書物を発見しましたので、一緒に調査しましょうと言う事になりました。




 廣瀬家の縁の墓は町内の福寿院に有り、そこの草刈り等整備はしてきましたが、保庵の墓石は無く、何処に有るのか不明でした。

 市川に関連する書物を調べていて大龍寺にありと偶然見つけたものです。



 今から160年も前にアメリカに行き、そこから大西洋を渡り日本人で初めて世界一周をした廣瀬保庵が「環海航路日記」と「新図(環海航路新図)」を著したのは大変興味深いものです。




 新しい出会いもあり、最近南アルプス市西野の中込氏から所蔵の「新図」も町に寄贈していただいたり、展開が急に慌ただしくなって来ました。

 温故知新で改めて学んで行こうと思っています。


 「橋本伯寿(はしもと はくじゅ)」の著した「断毒論」も研究しています。

 1810年、今から200年以上前に疫病の事を書いた医師が市川に居たのも凄い事だと思います。

 先人の知識欲は見習わなければなりません。

 コロナで外出が出来づらい今、家で研究しています。