2018年2月1日木曜日

「身辺整理」 鈴木賢二 (ギターラ)

70代半ばになって、同年代の知人が次々と消えていく。
人生いつしか終わる時がやってくる。
子供達に負担が切らないように、夫婦で墓じまいと、産地直送、直葬、火葬葬と決めている。



撮りためた音楽テープが段ボールいっぱい。
レコード、CD、資料、本
押入れには、描きためた愚作の絵が押入れにいっぱい。どうしよう?

寝込まないために、毎日5キロのインターバル歩行、ストレッチ、腹筋、腕立て伏せ、スクワットなどで、筋力には自信がある。


毎年無免許の妻と、2000キロの車中泊の旅もする。
ただ、体力は自信がない。
目に見えて落ちている。あーーーいやだ。

ということで、悔いのない日々にと
クラフト制作、スケッチ、フォルクローレなど楽しんでいる。

死人、廃人、間違えた。詩人、俳人にはなれなくても、ダジャレくらいならできる。
そんな私ですが、末永くお付き合いください。


2018年1月4日木曜日

「年越し魚」 木戸岡信次 (ビエントス)

あけましておめでとうございます。
昨年の南天の話に続いて年越しに食べる魚の話です。

松本では年取り魚としてブリ(鰤)を食べる習慣があります。
この風習は各地方で違うらしいです。
山梨県では年越し魚は何でしょうか。

自宅では 小さいころ 鰤の半身を買って来て、切り分けて食べた思い出があります。
庭に大きなまな板を置き、鰤を置き、鉈のような分厚い包丁で頭を落とし、骨を叩き切り,
長い包丁で切り身をきっていたのを見ていました。
鰤の切り身は、焼いて、年越しに食べ、正月の雑煮で食べ、あらは、大根、ジャガイモ、ニンジンと煮物に。
背の部分を刺身で。 これはとてもおいしく、もし地球最後の日に食べるとしたらこれかも。

鰤について ネットからの引用ですがおもしろいので。
>>
長野市の年取り魚は鮭なのに松本市ではブリ。富山湾から飛騨を抜け、信州に到る「鰤(ぶり)街道」の話を最初に聞いたときには、食の道の根強さに驚嘆しました。
また新潟では、蛇行する信濃川の右岸と左岸で、年取り魚が分かれという話も聞いたことがあります。その説によると、まさに「信濃川」そのものが境界線。同じ地域の中でも、川を隔てて斑模様になっているとしたら、これもすごいことです。
家計調査年報の平成16年~18年平均のデータを見てみました。

<ブリ>
金額のベスト5は富山、金沢、長崎、福井、松江
数量のベスト5は富山、金沢、松江、福井、山口
北陸3県が上位に勢ぞろい。6位以下の上位を見ると完全に西日本型。
トップの富山市は金額(円)で全国平均の3倍、数量(g)では3.5倍とぶっちぎりの多さ!
ちょっとだけ注目したのは金額・数量とも8位の津市。消費量上位都市の分布の中で、やや飛び地っぽい位置取り。「西」との繋がりを感じさせます。
逆に消費が少ない都市を、下から順に見ると、
金額:那覇、札幌、前橋、福島、甲府
数量:札幌、那覇、前橋、甲府、福島
那覇は魚介類全体でも47都道府県で一番少ない。あとは、東日本勢が並ぶ。
>>
甲府が鰤の消費量 金額も数量も少ないんですね。
甲府はマグロの消費が多いと聞いたことがあります。



の月刊モンターニャスでした。

2017年12月1日金曜日

「自分の命は自分で守り健康に生きる」 岡田 清和(ビエントス)

 語り部ボランティアによる、3.11東日本大震災の話を聞く機会が10月にありました。
地震の規模は、マグニチュ-ド9.0ととてつもない大きさです。
犠牲者の多くは津波による水死、倒壊した家屋や家具の下敷きによる圧死だったそうです。

生死の明暗を分けたのは、直ぐに行動をおこし高台へ避難した人は助かり、ちゅうちょして10分後に避難を始めた人は、交通渋滞で津波にあい、家に残った人は家ごと津波に呑まれたそうです。
3.11の2日前3月9日に地震があり、2mの津波予測が実際には20cmだったことで、多くの人の避難行動に影響があったとも考えられるとの事です。
しかし、3.11の地震はいつもと違うことを、五感に感じたそうです。
語り部によると、某小学校では避難指示が悪く多くの犠牲者が出したが、地震の規模が違うと感じ、校舎の屋上になっていた避難場所を2km離れた山へ変更したことで、全員の命を守ることが出来た小学校の話も聞きました。
指導者の指示の的確さが、命に繋がっているという事です。
その他いろんな例を聞きましたが、「自分の命は自分で守る」ことが第一ですと強調して訴えていました。
自分が助かれば、家族や近所の人をも助けることが出来、次々と救助の手を差し伸べることが可能だとの事でした。
このことは、私の日常の生活を振り返る機会となりました。
水や保存食を三日分準備して置くことや、家族への連絡方法などきちんと出来ているだろうかと心配し話し合って見ました。
日頃の、健康管理にも充分気を付け、与えられた命を大切に元気に過ごしたいと感じた次第です。

2017年11月2日木曜日

「フォルクローレの素朴さ」 丸山高男(ビエントス)

先日、石和の北口広場オープニングイベントでの演奏をしてきました。
生憎天候は台風のため大荒れの土砂降りでしたが、雨の中たくさんの方が熱心に聞いてくださり感謝です。

モンターニャスでの定期演奏会も久しくご無沙汰していますが、やはり年に1度ぐらいは自主コンサートのようなものを開催したいですよね!私はなかなか練習に参加できずすみません。

フォルクローレといっても私たちの演奏している曲は、おおむねボリビア、ペルーの曲が多いのですが、
今の現地での曲の多くが、今風になりすぎて素朴さに欠けているような気がしています。
時代とともに音楽も変わるのでしょうが、ビクトルハラ、ユパンキ、メルセデスソーサ、など偉大な心揺さぶる彼らの歌声や、パントーハの素朴なケーナの響きをあらためて聞いてみると、なんと哀愁があり、素朴で美しく民族の歴史感から絞り出るような響きにいまさら感動してしまいました。
今の、ミュージシャンのテクニッはすばらしくうまいのですが、何か物足りなさを感じる今日この頃です。

私も笛を吹いて20年近くになりますが、一向に上達していません。
それでもフォルクローレの素朴は持ち続けたいと思います。

2017年10月1日日曜日

「運動会の想い出」 堀込 孝一(ビエントス)

近くの小学校で秋の運動会が開催されている。
ふと、音楽に乗せ、昔の運動会の記憶が蘇ってきた。
人生最初の運動会の記憶は、幼稚園での「宝ひろい」である。
翌年4月に入園予定の幼児が、幼稚園から招待された。
その幼児が、男女交互に並ばされ、一斉に「よーいドン」。
運動場の中央に並べてある「お宝」を拾って、スタート地点に戻れば「ゴールイン」という競技。
私は、2年間幼稚園に通うコースであったので、当時4歳だったハズである。
これから「たからひろい」だと、家族席から、私も呼び出された。
「宝」というからには「おもちゃ」か?などと期待が膨らむ。
「まっすぐ走って目の前の「お宝」を拾って、戻ってくるのよ」と先生から説明を受けながら、スタート。

結構、真剣に走ったので、一番先頭で「お宝」ゾーンへ。
自分の走った先には、男の子用に自由画帳とクレヨンと「青」の筆入れがビニール袋に入れられて置いてあった。
周りを見回すと、女の子用には、「赤」の筆入れが・・。
すべて、色以外は、まったく同じ物が、ビニール袋に入れられて置いてあった。
赤と青交互に・・・。
それを見た私は、「お宝」には目もくれず、方向転換し、「こんなもの要らない」と言いながら、エリアを外れ、家族席へ向かった。ゴールもせずに。
慌てた母親が、私の手をつかみ、一緒に「お宝」のもとへ走り、私に「お宝」を拾わせ、二人でゴール。
その後、幼稚園の先生が、家族席にあいさつに来た。私は、無言で、拾ったばかりの自由画帳にクレヨンで絵を描き始めた。照れくさかった事は覚えている。

2017年9月1日金曜日

「ユニット」 桜井 小百合 (ボーカル・パーカッション)

 久しぶりに実家に帰った時の事。
 母が
「お母さん、ユニットを組んだの!」
 と嬉しそうに言った。
 ユニット・・・といえばお風呂?いや、実家のお風呂はもうユニットバスになっているが
また新しくリフォームするのにローンを組んだという事なのか?
 と困惑している私に、更に母は満面のドヤ顔で言った。
 「音楽ユニットを結成したのよ!」
 今度は、困惑を通り越して頭が混乱してきた。
 母は、今年喜寿を迎えた。その母の口から発せられるには意外すぎる言葉であった。
 母は数年前から大正琴をならっていて、その教室の先生がキーボードとボーカル・同じ教室に通う男性がハーモニカ・母が大正琴とボーカル、という三人組の音楽ユニットなのだそう。メンバーは全員七十代後半~八十代前半だとか。
 老人福祉施設などを慰問して昭和の懐メロを演奏しているそうである。
 実家は昔から商店を営んでおり、母はずっと店と家事を切り盛りして忙しく働く生活を送っていた。一時期、ママさんコーラスをやっていた時もあったがすぐに辞めてしまった。
 どちらかと言えば父の方がシャンソンやクラシックをよく聴いたり歌ったりしていて音楽好きだったという記憶がある。
 母はといえば働いてばかりで特に趣味があるようには見えなかった。
 しかし、店を畳み、父が亡くなってから母は合唱団に入ったり、大正琴を習ったりと急に音楽を始めたので驚いた。
 家に一人で居てもボケそうだから、といまだに仕事をしていて、その合間に歌のイベントなどがあると積極的に参加し、発表会も堂々とこなしていて何だか昔より生き生きとして充実した生活をしていて羨ましいなぁ、と感じていた。元々は、母も音楽が好きだったのだ。
 そして、そこからの『音楽ユニット』である。
 楽しそうに施設に慰問に行った時の話をしている母を見ると、そのバイタリティとチャレンジ精神には全く感心してしまう。
 私が77歳になった時って、何をやっているのだろう。
 まだフォルクローレを続けていられているのかしら・・・と考えてしまった。
 お婆ちゃんになってもボンボを叩いて歌うなんて、カッコいいんじゃない?(^^♪
 続けていられるといいなぁ。

 ちなみに、その音楽ユニットのグループ名は?と聞いたら
 「ん~?昭和の歌を歌う会?違う。懐かしの歌を歌う会??わかんない!」
 そうである。
 とにかく音楽ユニットを組んでる、というだけで名前はどうでもいいらしい。
 そこら辺も何だかユルくて、面白そうなユニットである。

2017年8月5日土曜日

「8分の6拍子克服のために」 橋本 真樹 (チャランゴ・ギターラ)

フォルクローレという音楽ジャンルの特徴の1つとして、アンデス地方特有のリズムが挙げられますが、アマチュア演奏者の中にはこのリズムに苦手意識がある人も多いようです。

先月の月刊でも「出会い」のリズムが合わなくて・・という話題が出ましたが、日本人は全般的に8分の6拍子の楽曲が苦手であるようです。

初心者練習会(ソル・ナシエンテ)でも、8分の6拍子の楽曲を意識的に練習曲として採り上げているのですが、残念ながら人様にご披露できるレベルには至っていないというのが実態です。

リズムを掴むための練習法として、①楽器を持たずに模範演奏に合わせてメロディーを口ずさんでみたりボイスパーカッションの真似事をしてみる②模範演奏に合わせて手拍子を打ってみる(最初は頭の拍だけとして、徐々に手数を増やしていく)等の簡単な実践例を紹介し続けているのですが、なかなか熱心に取り組んでもらえていないようです。

しかしながら、これら楽器を持たない補助トレーニング的な取組みによらずして、リズム感が乏しい(と自覚している)人が弱点を克服するのは至難の業だと思いますので、これからも折に触れ実践していきたいと思います。

 本年の年初に掲げた初心者練習会の活動方針の中で、「これまでの練習曲の中で中途半端に終わっている曲などを掘り起こし、ある程度形になるように仕上げていきたい」と謳っていました。

代表的な8分の6拍子クエッカの楽曲が、まさに中途半端なままですので、今年後半はクエッカのリズムを基本から学び直し、8分の6拍子克服のきっかけとしたいと考えています。

(ついでながらイベント告知)
10月29日(日)、山梨市民会館で開催される山梨県主催イベント「やまなし県民文化祭・アコースティック音楽祭」に、今年も参加させていただけることになりました。

イベントは12時開演予定。ソル・ナシエンテの出演予定時間は、15時20分頃からの約20分となります。