2018年4月2日月曜日

「老化防止の親孝行」 今村まち子 (チャランゴ)

この一週間の気温の上がりで桜の開花が一気に進み、車で出掛けると、その素晴らしい光景が目に飛び込んでくる。
田富から市川に向かい笛吹川にかかる桃林橋から見る大塚地域の景色は圧巻だ。


昼食を娘と孫の三人でとった帰り、大塚から歌舞伎公園、市川の碑林公園をドライブした。
今年は桜と桃、スモモが一斉に咲き、三珠の湯の下の畑でスモモの受粉作業をする姿が見かけられた。
色のコントラスト、ピンクのトンネルを堪能し、今年も健康で、この素晴らしい季節を迎えられることを嬉しく思った。
しかし、毎年、みな平等に年をとる。
昨日はなぜか急須にインスタントコーヒーを入れてしまった。
同時にいくつもの事ができなくなってしまっている自分に気付く。
お湯も入れていないし、飲んでもいない!
まあ、いいか。なんて笑ってこのことは無いことにした。
この前は娘から聞いたことを、自分の知識として、また、それを娘に返してしまった。
“それ、この前、私が教えた事だよね”
これが初めての事ではないんだとか?
娘の返しは時には痛烈なパンチで、時々このパンチを夫はくらっているようだ。

2018年3月7日水曜日

「たつの ミュージックワールドⅡに参加して」堀込孝一(ビエントス)

3月4日(日)に、グルーポ・モンターニャスで、長野県の辰野町で開催された「ひびけ!たつの ミュージック ワールドⅡ」というイベントに参加してきました。

長野でフォルクローレ・グループを主宰していた林さんと音楽監督の唐沢先生が旧知の仲だったことにより、長野県のメンバーがいるグルーポ・モンターニャスに演奏を依頼してくれたようです。唐沢先生も、かつてフォルクローレ・グループに所属していたそうです。
モンターニャスが、昨年の5月の松本美術館でコンサートをした際に、唐沢先生に聴きに来てくださり、出演を依頼していただき、恐縮しつつも、その時は「ずいぶん先の話」という印象でした。しかし、いざとなると月日の経つのが早いものです。
イベントは3部構成で、ファースト・ステージが、「オーケストラ名曲の鑑賞」。
セカンド・ステージが「地球の裏側からの贈り物」で、フォルクローレ、ニュー・ラテン音楽、ボサノバを。
サード・ステージが「オーケストラと歌おう」。
当然、モンターニャスはセカンド・ステージのフォルクローレでありますが、辰野東小学校の児童が、先にリコーダー等で「コンドルは飛んで行く」を演奏するというので、当初、義務的に演奏するつもりだったコンドルは避けることにしました。
そして「マリポーサ」、「出会い」、「イミリタイ」で、モレナーダ、カルナバル、ティンクとボリビアのお祭り系のリズムの曲を演奏することとした次第。
児童のコンドルが、すごく清らかで心洗われる演奏だったので、モンターニャスの奇声をあげたり、荒々しい笛の音などの演奏は、観客も驚いたのではないでしょうか。
衣裳も、ポンチョやチャレコのミックスとしたのでバラエティー感満載、他の大半の出演者が黒いスーツと白いシャツという様子だったので、ずいぶん違和感あったと思います。対極という感じでしょうか。
でも唐沢先生からは、モンターニャスの登場で、「パッと色が入ったように雰囲気が変わってよかった」と言っていただいたので、安心しました。

すばらしい主催者と出演者、スタッフ・・・すべてがハイレベル。辰野町や長野県の文化水準の高さに感心し、山梨もなんとかしないといけないと感じました。
最後に、観客と出演者で、オーケストラをバックに「ふるさと(作詩:高野辰之)」を合唱しましたが、実に気持ちが良いものです。良い一日に感謝。
P.S.帰りがけに、隣の伊那市に立ち寄り、せっかくなので、みんなでご当地グルメの「ローメン」をいただきました。

2018年2月1日木曜日

「身辺整理」 鈴木賢二 (ギターラ)

70代半ばになって、同年代の知人が次々と消えていく。
人生いつしか終わる時がやってくる。
子供達に負担が切らないように、夫婦で墓じまいと、産地直送、直葬、火葬葬と決めている。



撮りためた音楽テープが段ボールいっぱい。
レコード、CD、資料、本
押入れには、描きためた愚作の絵が押入れにいっぱい。どうしよう?

寝込まないために、毎日5キロのインターバル歩行、ストレッチ、腹筋、腕立て伏せ、スクワットなどで、筋力には自信がある。


毎年無免許の妻と、2000キロの車中泊の旅もする。
ただ、体力は自信がない。
目に見えて落ちている。あーーーいやだ。

ということで、悔いのない日々にと
クラフト制作、スケッチ、フォルクローレなど楽しんでいる。

死人、廃人、間違えた。詩人、俳人にはなれなくても、ダジャレくらいならできる。
そんな私ですが、末永くお付き合いください。


2018年1月4日木曜日

「年越し魚」 木戸岡信次 (ビエントス)

あけましておめでとうございます。
昨年の南天の話に続いて年越しに食べる魚の話です。

松本では年取り魚としてブリ(鰤)を食べる習慣があります。
この風習は各地方で違うらしいです。
山梨県では年越し魚は何でしょうか。

自宅では 小さいころ 鰤の半身を買って来て、切り分けて食べた思い出があります。
庭に大きなまな板を置き、鰤を置き、鉈のような分厚い包丁で頭を落とし、骨を叩き切り,
長い包丁で切り身をきっていたのを見ていました。
鰤の切り身は、焼いて、年越しに食べ、正月の雑煮で食べ、あらは、大根、ジャガイモ、ニンジンと煮物に。
背の部分を刺身で。 これはとてもおいしく、もし地球最後の日に食べるとしたらこれかも。

鰤について ネットからの引用ですがおもしろいので。
>>
長野市の年取り魚は鮭なのに松本市ではブリ。富山湾から飛騨を抜け、信州に到る「鰤(ぶり)街道」の話を最初に聞いたときには、食の道の根強さに驚嘆しました。
また新潟では、蛇行する信濃川の右岸と左岸で、年取り魚が分かれという話も聞いたことがあります。その説によると、まさに「信濃川」そのものが境界線。同じ地域の中でも、川を隔てて斑模様になっているとしたら、これもすごいことです。
家計調査年報の平成16年~18年平均のデータを見てみました。

<ブリ>
金額のベスト5は富山、金沢、長崎、福井、松江
数量のベスト5は富山、金沢、松江、福井、山口
北陸3県が上位に勢ぞろい。6位以下の上位を見ると完全に西日本型。
トップの富山市は金額(円)で全国平均の3倍、数量(g)では3.5倍とぶっちぎりの多さ!
ちょっとだけ注目したのは金額・数量とも8位の津市。消費量上位都市の分布の中で、やや飛び地っぽい位置取り。「西」との繋がりを感じさせます。
逆に消費が少ない都市を、下から順に見ると、
金額:那覇、札幌、前橋、福島、甲府
数量:札幌、那覇、前橋、甲府、福島
那覇は魚介類全体でも47都道府県で一番少ない。あとは、東日本勢が並ぶ。
>>
甲府が鰤の消費量 金額も数量も少ないんですね。
甲府はマグロの消費が多いと聞いたことがあります。



の月刊モンターニャスでした。

2017年12月1日金曜日

「自分の命は自分で守り健康に生きる」 岡田 清和(ビエントス)

 語り部ボランティアによる、3.11東日本大震災の話を聞く機会が10月にありました。
地震の規模は、マグニチュ-ド9.0ととてつもない大きさです。
犠牲者の多くは津波による水死、倒壊した家屋や家具の下敷きによる圧死だったそうです。

生死の明暗を分けたのは、直ぐに行動をおこし高台へ避難した人は助かり、ちゅうちょして10分後に避難を始めた人は、交通渋滞で津波にあい、家に残った人は家ごと津波に呑まれたそうです。
3.11の2日前3月9日に地震があり、2mの津波予測が実際には20cmだったことで、多くの人の避難行動に影響があったとも考えられるとの事です。
しかし、3.11の地震はいつもと違うことを、五感に感じたそうです。
語り部によると、某小学校では避難指示が悪く多くの犠牲者が出したが、地震の規模が違うと感じ、校舎の屋上になっていた避難場所を2km離れた山へ変更したことで、全員の命を守ることが出来た小学校の話も聞きました。
指導者の指示の的確さが、命に繋がっているという事です。
その他いろんな例を聞きましたが、「自分の命は自分で守る」ことが第一ですと強調して訴えていました。
自分が助かれば、家族や近所の人をも助けることが出来、次々と救助の手を差し伸べることが可能だとの事でした。
このことは、私の日常の生活を振り返る機会となりました。
水や保存食を三日分準備して置くことや、家族への連絡方法などきちんと出来ているだろうかと心配し話し合って見ました。
日頃の、健康管理にも充分気を付け、与えられた命を大切に元気に過ごしたいと感じた次第です。

2017年11月2日木曜日

「フォルクローレの素朴さ」 丸山高男(ビエントス)

先日、石和の北口広場オープニングイベントでの演奏をしてきました。
生憎天候は台風のため大荒れの土砂降りでしたが、雨の中たくさんの方が熱心に聞いてくださり感謝です。

モンターニャスでの定期演奏会も久しくご無沙汰していますが、やはり年に1度ぐらいは自主コンサートのようなものを開催したいですよね!私はなかなか練習に参加できずすみません。

フォルクローレといっても私たちの演奏している曲は、おおむねボリビア、ペルーの曲が多いのですが、
今の現地での曲の多くが、今風になりすぎて素朴さに欠けているような気がしています。
時代とともに音楽も変わるのでしょうが、ビクトルハラ、ユパンキ、メルセデスソーサ、など偉大な心揺さぶる彼らの歌声や、パントーハの素朴なケーナの響きをあらためて聞いてみると、なんと哀愁があり、素朴で美しく民族の歴史感から絞り出るような響きにいまさら感動してしまいました。
今の、ミュージシャンのテクニッはすばらしくうまいのですが、何か物足りなさを感じる今日この頃です。

私も笛を吹いて20年近くになりますが、一向に上達していません。
それでもフォルクローレの素朴は持ち続けたいと思います。

2017年10月1日日曜日

「運動会の想い出」 堀込 孝一(ビエントス)

近くの小学校で秋の運動会が開催されている。
ふと、音楽に乗せ、昔の運動会の記憶が蘇ってきた。
人生最初の運動会の記憶は、幼稚園での「宝ひろい」である。
翌年4月に入園予定の幼児が、幼稚園から招待された。
その幼児が、男女交互に並ばされ、一斉に「よーいドン」。
運動場の中央に並べてある「お宝」を拾って、スタート地点に戻れば「ゴールイン」という競技。
私は、2年間幼稚園に通うコースであったので、当時4歳だったハズである。
これから「たからひろい」だと、家族席から、私も呼び出された。
「宝」というからには「おもちゃ」か?などと期待が膨らむ。
「まっすぐ走って目の前の「お宝」を拾って、戻ってくるのよ」と先生から説明を受けながら、スタート。

結構、真剣に走ったので、一番先頭で「お宝」ゾーンへ。
自分の走った先には、男の子用に自由画帳とクレヨンと「青」の筆入れがビニール袋に入れられて置いてあった。
周りを見回すと、女の子用には、「赤」の筆入れが・・。
すべて、色以外は、まったく同じ物が、ビニール袋に入れられて置いてあった。
赤と青交互に・・・。
それを見た私は、「お宝」には目もくれず、方向転換し、「こんなもの要らない」と言いながら、エリアを外れ、家族席へ向かった。ゴールもせずに。
慌てた母親が、私の手をつかみ、一緒に「お宝」のもとへ走り、私に「お宝」を拾わせ、二人でゴール。
その後、幼稚園の先生が、家族席にあいさつに来た。私は、無言で、拾ったばかりの自由画帳にクレヨンで絵を描き始めた。照れくさかった事は覚えている。